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感性を養い、体験することについて—映画、個展、読書から感じたこと

ここのところで観たり、読んだり、感じたりしたことが私の中でつながっています。

ベン・スティラーが監督と主演をつとめる映画「LIFE!」、アロマスタイリスト sous le nez(スールネ)さんの個展「SPELL LABORATORY」、そして佐々木俊尚さんの著書「家めしこそ、最高のごちそうである」です。

どんな風につながったのか?まずは1つずつ感想から綴ろうと思います。

映画「LIFE!」

映画「LIFE!」が終わった時に胸の中にわいたのは「いい映画だなぁ」という素直な感想でした。

物語の常としてはじまりと終わりで主人公には変化があります。映画の冒頭での主人公ウォルター・ミティは、冴えない中年の男性で、ニューヨークに住み「ライフ」誌の写真管理部の仕事をしています。16年間、変化のない生活に退屈してなのか、引っ込み思案な性格が影響しているのか、彼には時々空想の世界へ飛んでいってしまう癖がありました。密かに好意を寄せている同僚に声をかけることもできず見つめているだけ。

「ライフ」誌の廃刊が決まり、最後のカバーとして写真家から「25番のコマを使え」と指定がありました。なのに、その部分のネガフィルムだけが見つからない。写真家が持っているはずという推測のもと、ウォルターは写真家を追ってグリーンランドへ飛びます。ですが次から次へと移動をする写真家に会うことはできず、わずかな手がかりを元に写真家の後を追いかけます。

彼の旅はやむを得ない理由からはじまりました。自分の直感のまま、流れに身を任せるかのように旅をすることで彼はこれまでしなかったような体験や出会いをしていきます。そして映画の最後にはそれまでとは違うウォルターの表情を見ることができます。

この映画のメッセージ「Stop Dreaming. Start Living.」は明解です。映画を観た人ならウォルターと一緒にそれを感じたのではないでしょうか。大都会のニューヨークからグリーンランドの人口8人の村へ飛び、美しく容赦のない自然の中へ飛び込んでいくウォルターの姿に自分を重ねずにはいられませんでした。

私は映画を観たり、読書をしたり、自宅で過ごすことが好きです。ひとりで過ごす時間に素晴らしい作品に出会って感動したり、作品との対話をすることができます。だけどこうした楽しみは閉じた世界のもので「Dreaming」=「夢見ること」と近いのではないでしょうか。「Stop Dreaming, Start Living.」は寺山修司さんの有名な著書のタイトル「書を捨てよ、町へ出よう」と同じメッセージを感じます。自分の体で感じて、世の中と交わりを持っていくことが「Living」=「人生」なんだというメッセージを私は映画から受け取りました。

だけど「白か黒か」のような思考になる必要はないと思います。疲れた時に「夢見ること」で癒され、また「人生」へと戻って行ける。逃避をすることはむしろ勇気のある行為だ、とイギリスのある文献学者が言っていました。要はそのバランス感覚をとりながら進めばいいのだと思います。

ウォルターが冒険とも呼べる旅に出てみると、写真家にはなかなか出会うことができないものの、写真管理部のインドアな人間のわりには順調に旅をしているように映るかもしれません。映画じゃなかったら、あと一歩が間に合わなくて命を失っていたかもしれない。そんなシーンもありました。だけど、飛び出してみれば意外にもどうにかなるも多いんだということを描いているのではないでしょうか。これは自分の海外旅行の体験と重ね合わせて感じたことでウォルターの旅はスケールがちがいますが、でも私も右も左もわからない状態からでも、なんとか旅行をして帰ってこれました。だから心配しすぎず出かけていって大丈夫なんですよね。これは旅行に限ったことではないなと思います。

「LIFE!」に大満足したのは物語の清々しさもそうですし、映画のつくりが洗練されていたことも高評価の理由です。音楽の良さ、使い方のうまさ、伏線のはりかた、エンターテイメント性とドラマ性のバランスなど、どれをとってもいい映画でした。上映回数が減ってきていますが、ご興味がわいたらぜひ劇場の大きなスクリーンで。

個展「SPELL LABORATORY」

次にアロマスタイリストsous le nez(スールネ)さんの個展「SPELL LABORATORY」。

昨年の春のある日、それは私の誕生日だったのですが、スールネさんのワークショップに参加しました。自分の月の星座のアロマオイルをもとにネイルオイルをつくるという内容でした。スールネさんの美しい感性に触れて感動したことを覚えています。

動物の体の「におい」を司る器官である嗅覚は脳の深い部分にあるそうです。それは生物として人間に進化するずっと前にできた部分なので「におい」は本能に作用するのだと教えていただきました。

私は10代の頃に香水に苦手意識を持って以来「香り」とは縁遠かったのです。香りに苦しんだ思い出の方が大きかったのです。そんな私でしたが、スールネさんのワークショップから影響を大きく受けて、暮らしにアロマオイルを取り入れるようになりました。

そういうわけで、スールネさんのワークショップにはまた参加したいくらい興味津々なんですが、Nidi galleryで個展「SPELL LABORATORY」を開催されるということでぎりぎりでしたが行ってまいりました。

個展のメインは、嗅覚に作用する「あ」〜「ん」までの五十音それぞれにあてられた香り。星宝貝を手にとってアロマの香りをひとつずつ感じていきます。視覚をつかう展覧会は数多くあって、時々触ることができるものもあります。ですが、自分の嗅覚を頼りに観賞する展覧会はなかなかありません。

オープンラボでは自分で調合してルームミストをつくりました。好きな香りをベースにすることもできましたが、今回のテーマでもある「ことば」や「魔法」をじっくり味わうためにも何かきれいなことばをもとにつくりました。私がつくったルームミストは「ゆめのなか」。そのことば通りの心地よい香りになって大満足です。

渋谷での展示は終わってしまいましたが、篠山、京都、岡山と、巡回するそうなので、お近くで行われている際には、ぜひ。

sous le nez [ SPELL LABORATORY ] オープンラボでことばをつむいでルームミストをつくる

sous le nez [ SPELL LABORATORY ]オープンラボでことばをつむいでルームミストをつくる

料理エッセイ「家めしこそ、最高のごちそうである」

ITジャーナリストの佐々木俊尚さんの今年2月に発売されたご著書。佐々木さんは新聞記者からITジャーナリストへ転身しご著書を何冊も出されています。佐々木さんのご著書はここ最近のものはほぼ読んでいるのですが、今回は異色の「食」にまつわる内容です。

「家めしこそ、最高のごちそうである」は、コンビニなどで手軽に買えるようなファストフードではなく、かといって着飾って食べに行くようなフレンチ料理のような美食でもなく、自宅で無理なく毎日続けられる、手軽で気軽においしいと思える「シンプル食」をつくることを提案し、そのレシピやコツも多く書かれています。太平洋戦争の終戦を迎えてから今までの日本の食文化の話も興味深いものです。

私自身は30代になり、健康にはより気をつかうようになりました。まず大切なのは日々の食事と生活リズム、運動。こうして健康ネタが興味関心の大きな割合を占めるようになり、NHK教育あたりの健康番組を見る頻度が上がっていくのかもしれませんが、今のところ我が家にテレビはありません。

正直なところ、料理をするより食べることの方が好きです。好きなことには几帳面さを発揮する性格なのですが、料理には何年やってみてもマメに向き合うのは難しそう…。だけど健康や食に対しての満足を考えたら、自分で料理をすることとある程度のスキルを身につけることの方が合理的だという答えにたどりつきました。それが、佐々木さんの提案する「シンプル食」に共感する理由で、私のような「料理は面倒だけど手軽にできるならやるかぁ」というタイプにも少しの楽しみを持って続けられる方法だと思います。というか、続けなくては…!

この本の中でもう一つ興味深かったのは断食体験。断食といっても自宅でご飯を抜くのとはわけがちがいます。伊豆の断食をするための施設に3泊4日で宿泊して断食をし、少しずつふだんの食生活に戻していくそうです。その時の食事は、この通りだそう。

想像するだけで、おなかがすきます。施設のWebサイトにもメニューが紹介されているので写真を見てみたら、ますますおなかがすきました。ですが、佐々木さんはこう綴っています。

断食は、実は味覚を極めつけぐらいに鋭敏にしてくれる貴重な体験なのです。[中略] 二日目の朝に出る小松菜のジュース。少し入れられている柑橘の味が、舌を突き刺すように感じます。三日目、小さな豆腐だけが入ったとても薄い味噌汁。舌は鋭敏に、昆布のだしの味を感じてしまいます。素材の味に対する感覚が、きわめてクリアになっていくのです。これは日常生活では決して得られない不思議な感覚で、私にとっては驚天動地の新体験でした。「素材の味って、なんて豊穣な世界なんだろう」

「家めしこそ最高のごちそうである」55ページ

日常で食べ慣れている食事を絶つことで、とても薄い味覚も感じ取れるようになるんですね。今日の食事を思い出しただけでもそうですが、日々いかに味がしっかりついた食べ物に慣れているかを振り返りました。濃い味、つまり強い刺激を感じられるのは当然です。弱い刺激である薄い味を感じられるように調整することは、自分の五感の中の味覚を養うものですね。食材にこだわった高級な料理よりも、自分の味覚が豊かになることの方が贅沢なんだろうな。

私は濃い味付けの食事を好むと言われる東北地方出身です。これは寒い地域で暮らす生活習慣から生まれたものですが、しょうゆを盛大に消費する姿を見て、子供心に「いいな」と感じることはなくむしろその逆でした。そんな私はこのことが直接的な理由なのかは不明ですが、10代の頃から薄い味付けを好んでいました。大人になって、東北地方からは距離の遠い西日本のだしの食文化を知った時には目から鱗。狭い知識だけで暮らすということは自分の感性の幅を閉ざす行為ですね。これは味覚に限ったことではないですが。だから私は東京の暮らしが気に入っているのだろうなとも思います。

「家めしこそ最高のごちそうである」は日々の食生活を考え直し、自分ごと、楽しいことに切り替えるきっかけになりました。私の場合はあとは甘いものが断てるようになるといいんですけどね。断食体験はぜひとも行って「驚天動地」の体験をしてみたいです。

感性のふたをひらきたい

「LIFE!」、「SPELL LABORATORY」、「家めしこそ、最高のごちそうである」はどれも単独でも感じること、考えることのきっかけを与えてくれるものでした。考えるうちに私の中でこの3つがつながるようになりました。

昨年、スールネさんのワークショップに参加して以来考えているのは、人の差はあるにしても現代の生活の中で人間は視覚に依存しすぎではないかということ。視覚の他にも、触覚、聴覚、嗅覚、味覚という感覚があるにも関わらず、です。嗅覚で感じ取り、意識するに達するまでにとてもわずかなタイムラグがあります。そのタイムラグのあいだに直感は働いているのだけど、視覚から得る情報で理性を持って直感をかき消してしまう。これは自分の感性にふたをしてしまう行為だと思っています。

理性があるから人が今ある暮らしや社会をつくることができたんだと思います。しかし、しかしですね。私がすてきだなと憧れる人たちは直感を大切にしている人が多く、その人たちに共通しているのはセンスの良さです。センスという言葉は日本語に直せば「感性」とか「感覚」のことです。センスのいい人たちは理性より先に、本能的に直感で感じ取った「心地いいと思うもの」「綺麗だな」「素敵だな」という瞬時のわずかな反応にきちんと気がついて、自分のものにしていく能力のある人たちなんだと思います。

生物としてこの能力は誰でも持っているものだと思います。だけど直感で得た小さな反応に気付く感覚の鋭さがあるのか、言葉に変換して自分の中に蓄積していけるのかで、直感が鋭敏になっていくのではないでしょうか。

強い刺激に慣れていると弱い刺激に気がつくのは難しいでしょう。薄い・濃いの味付けの話を思い出していただくと理解しやすいと思います。強い刺激である濃い味にばかり慣れていると、弱い刺激である薄い味を感じられなくなってしまいます。さらに、いいものを選ぶ能力の高い人のことを「嗅覚が鋭い」といいますが、これもセンスの良さを褒める言葉に近いですよね。嗅覚は本能に作用するということなので、ぜひとも嗅覚の鋭さは磨きたいところ。他にも触覚、聴覚など、自分が瞬時に快・不快のどちらを感じているかに気がつき、「なんとなくいい」「なんかやだ」以上の言葉に変換して理由をつけられるようになると、感性のふたはどんどん開いて、多くのことに気がつけるようになるのだという仮定をこのところ出しました。

感性のふたが閉じている状態と開いている状態では、体験した時に得られる情報量がちがいます。「LIFE!」のウォルターのように冒険を経て変わっていくには感性のふたが開いている必要があるでしょう。ふたが閉じている状態でも大きな自然の中に放り出されたら、ふたなんて飛んでいってしまうかもしれません。でもいずれにしろ感性のふたを開き、直感に対しての鋭さがあるからこそウォルターは変わっていけたのでしょう。

ウォルターが旅路でスケートボードに乗って峠をくだるシーンがあります。あれはこの作品随一の爽快なシーンですが、童心に返っているという見方もできます。これは私独自の意見ですが、子供は感性が高く、大人になると感性が鈍るということを耳にすることがありますが、それは子供がする体験はどれも新しいもので素直に受け止めることができるからではないかと思います。だけど大人になるに連れ、直感から得た情報を自分と接続していくことができるようになるので、大人だって子供に負けないくらい、またはそれ以上に感性を豊かにすることができると思っています。

新しい発見は楽しい。旅先だけでなく、ふだんの暮らしからも発見できることは多いはず。そんな好奇心を持って愉快に暮らしていくためにも、自分の直感や感覚を養いながら、町へ出かけていろんなことを感じていきたい。そんな風に考える今日この頃なのでした。