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「松園と華麗なる女性画家たち」で感じたこと

山種美術館で「松園と華麗なる女性画家たち」を観てきました。日本画の楽しさを覚えたのはつい1か月前のこと。同じく山種美術館で見た上村松篁の作品が好きになったのがきっかけですが、母上にあたる上村松園も美人画家として人気が高いということを知り、今回の展覧会に足を運びました。今回は“ブロガー内覧会”という企画に参加して、作品の掲載やインターネット上への掲載に許可をいただいています。知りたいことが多い身にとって、専門知識を持った館長のギャラリートークが聞けるという素敵な機会でした。

今回は松園のことにフォーカスして書きます。

上村松園「牡丹雪」 山種美術館蔵

上村松園「牡丹雪」 山種美術館蔵

上村松園の絵画は柔和さがあり、同時に凛としていて清々しさが伝わってきます。どの作品もそうでした。それは彼女の持つ絵に対する思想と環境から影響を受けているのではないでしょうか。

松園は1875年〜1949年(明治8年〜昭和24年)に生きて、生涯を画家として過ごした人物ですが、この時代に女性が絵を描くことは世間が認めるところではなかった(wikiepdia)そうです。松園と同じ時代にあった「帝室技芸員」という顕彰制度に選ばれた女性はたった二人しかいないようで、もう一人の女性画家は南画を描く野口小蘋。今回はその人のコレクションも多く展示されていました。小蘋の緻密で確かな描写がいかされている「箱根真景図」の屏風が印象に残っています。

野口小蘋「箱根真景図」 山種美術館蔵

野口小蘋「箱根真景図」 山種美術館蔵

こうした時代に画家の道を歩むのは想像ができないくらい厳しいことで、並みの決意では続けられないのではないでしょうか。松園には強い意志があったことを伺わせる言葉を紹介します。

私は大てい女性の絵ばかり描いている。しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである。その絵を観ていると邪念の起こらない、またよこしまな心をもっている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる…といった絵こそ私の願うところのものである。<芸術を以て人を済度する。これ位の自負を画家はもつべきである。よい人間でなければよい芸術は生まれない。これは絵でも文学でも、その他の芸術家全体にいえる言葉である。よい芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来一人もいない。みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。真・善・美の極致に達した本格的な美人画を描きたい。

松園と華麗なる女性画家たち 図録より

なんと勇ましい姿勢でしょうか。この文章を読みながら私は痺れました。

松園の描く絵はきれいな美人画です。ブルーやグリーンの着物の、優しく美しい色合いにも癒されます。松園の絵は彼女が持つ意図を強烈に感じるような押し付けがましいものでなく、すーっと心の中に入ってきて、彼女の持っている美意識を受け取る。そういう印象です。

展覧会の様子

左から「詠哥」、「娘」、「杜鵑を聴く」、「つれづれ」 いずれも上村松園の作品 山種美術館蔵

松園は母上との絆が深かったようです。松園の意志の強さは、母上に支えられたものでもあるのですね。松園の子供時代のエピソードから母上の立派さがわかります。ところで以下のことは館長さんからも教えていただいた話です。

(母は)「お前は家のことをせいでもよい。一生懸命に絵をかきなされや」と言ってくれ、私が懸命になって絵をかいているのをみて、心ひそかにたのしんでいられた容子である。私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである。

上村松園「母への追慕」

何かひとつのことを生涯かけて続けるというのは、才能の有無に限らず、それだけでもすごいことです。今はすぐに集中力を欠いてしまうような時代でもあります。自分の中に一本筋のようなものを通していかないと、時間が流れても残るものは少ないのではないでしょうか。境遇や時代を超えても現代に置き換えて参考にできるところがあると思いました。

information

title
[特別展] 上村松園 生誕 140年記念 松園と華麗なる女性画家たち
date
2015.4.18. – 2015.6.21.
venue
山種美術館