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「ブルージャスミン」を観て感じたこと

昨年から公開を楽しみにしていたウディ・アレンの最新作「ブルージャスミン」、5月10日の公開初日に観てきました。78歳にもなったウディ・アレン監督の映画を今もスクリーンで観れるだけでもすごいことですが、本作はなかなか気に入りました。

ふだんブログで映画のことを書く時は、その映画を観に行ってもらえたらいいなと思って書いています。映画を楽しめるように物語の展開には触れないように書いているんですが、今回は内容に関わることを書きたいと思います。ですのでご覧になった後で読んでもらえたらうれしいです。

「ブルージャスミン」上映劇場情報

憂鬱なジャスミンの物語

実業家の夫との裕福な暮らしが破綻。資産を失い多額の借金を背負っている、救いようのない状態に陥ったジャスミンは、ニューヨークからサンフランシスコの義妹ジンジャーのもとへ身を寄せ、居候をしながら再起しようと画策します。

ジンジャーとは両親がちがう里子同士。同じ里親に育てられただけで、血縁関係はありません。二人の子供を抱えるシングルマザーとして暮らしているジンジャーの仕事はスーパーのレジ係。「姉さんは遺伝子がいいから」が彼女の口癖でした。そんなジンジャーを、ジャスミンは元の生活の頃から疎ましく感じて疎遠な関係を保っていました。

ジンジャーは、修理工をしている新しい恋人のチリと同棲をはじめようとしていました。そこへジャスミンがやってくることになり、同棲は保留に。チリはそのことが気に入りませんでした。

ジャスミンの高慢さは鼻につく

観客として、ジャスミンに好感を持つことは難しいのではないでしょうか。ジャスミンを演じているケイト・ブランシェットの美しさ(例えマスカラがにじんで惨めに見える姿でも…)は別として。ジャスミンの暮らしぶりに染みついた贅沢三昧や高慢さはこの物語の中で目立って悪く、例えば冒頭では無一文なのにファーストクラスの飛行機でジャスミンの元へやって来る様子は滑稽に映ります。

ジャスミンは再起するために、パソコン教室やインテリアコーディネーターの資格をとるための勉強に励むのですが、それはあくまでも自分を元のような裕福な暮らしへ引き上げてくれる男性と出会うための過程。サンフランシスコに移ってからジャスミンに興味を持つ男性は複数いましたが、ジャスミンは上流階級でなければ鼻から相手にしません。

ジャスミンだって正しいところはある

ジャスミンがジンジャーの自宅で勉強に励んでいる中、ジンジャーとチリとその友人たちはお酒を飲みながら格闘技をテレビで観戦しながら大騒ぎをします。集中できないジャスミンは静かにしてもらえないかとお願いに行き、チリにこう言われます。

「大人になったのに勉強するのかよ」

チリは自分のことを鼻にもかけず、その上にジンジャーとの同棲を邪魔をするジャスミンのことを疎ましく思っていました。その理由を理解はできるものの、勉強をするジャスミンに対するチリの批判的な態度は感心できませんでした。そして、そう思うように映画は演出されていたと感じました。

興味の向く方や自分が仕事の役割を果たす上で学ぶことは幸せなことだと思います。そうやって自分を広げていけるのは自由を得た大人だからできることなのになぁ。でも、このチリの件だけだったら、価値観のちがいだけで流すことができたかもしれません。

「姉さんは遺伝子がいいから」から読み取れること

チリの態度よりもよっぽどずるいのは、ジンジャーの「姉さんは遺伝子がいいから(私とは出来がちがう)」という態度です。「遺伝子がいいから」という言葉は独特な言い回しですが、つまりジンジャーは生まれつきジャスミンは優れていて、自分がジャスミンに比べて劣っているのは生まれつきのせいだから仕方がないという解釈をしています。

この言葉は自分に対する諦めるだけでなく、ジャスミンが(内容はともかくとしてある意味で)努力したことを否定します。

ジャスミンはジンジャーのこの態度を批判しますが、ジンジャーは無自覚で気にする様子はありません。ジンジャーの選んだ結末は、ジャスミンの言葉があってもなお変わろうとしないことを選んでいます。

ジャスミンのとった方法は計算高いし、依存しきりなので讃えることはできませんが、少なくとも自分の理想に向かって励む方が正しいと、私は思いました。チリやジンジャーは最初から諦めて妥協しているように映りました。そして諦めている自分を正当化するために、学ぶことに批判的な態度をとったり、暮らしをよりよくすることを考えることもなく、保守的になっているのだと。

ジンジャーが救われたように思える理由

最終的にジャスミンは救われず、ジンジャーは救われたように思えるのは、少なくともジンジャーは現状の不足を叫ぶことなくあるものに、満足をして周囲の人に親しみを持って暮らしているからなんだろうと思います。

そして彼女を支えているのは、自分の足できちんと立って生きようとしている精神です。自分だけでなく前夫オーギーとの子供二人も育てています。ジャスミンは最終的に誰かに立たせてもらうことばかりを計算して行動し、ジンジャーのような精神を持つことは最後までありませんでした。

ファンタジーの中で生きているジャスミン

物語が展開していくに連れ、ジャスミンの背景が明らかになっていきます。身の破滅と言えば大げさに聞こえるかもしれませんが、ジャスミンは引き金を自分で引いています。ですが、実際にその行動に出た時も彼女にリアリティはなかったでしょう。「私はここで何をしているんだろう?」という台詞がそれを物語っています。

ジャスミンを演じたケイト・ブランシェットのコメントがとても興味深かったです。

「芝居がかった演出よね。スカーレットみたいな全然違う名前にするのではなく、ジャネットからジャスミンだもの。彼女はいつだって事実から少しだけ外したところに足を踏み入れるの。この名前くらいの小さなことなら罪はなかったのに、同じような事を繰り返すうちに、ジャスミンはどんどん現実から遠のいてしまうのよ」

「ジャスミンは自分の才能にわずかな自信しかなかった。だから本来の自分以上に見せる演出を常にしないといけなくて、直感で口から出た言葉を真実にするために進んでしまったの。真実は時に恐ろしい物よ。特に人生を丸ごとフィクションのなかで過ごしているときはね」

『ブルージャスミン』【最新シネマ批評】 | Pouch[ポーチ]

このケイト・ブランシェットのコメントを読んで、私は決して雲の上の人のような生活をしていたジャスミンでさえ、他人事のようには思えませんでした。なぜかといえば、自信というものは外側からもたらされることはない、という観点に裕福かどうかは関係ないからです。

もともとの彼女は、何の能力も持たないわけではなかったはず。でも、ジャスミンは自信の芽を育てることを怠りました。その代わりに、ケイト・ブランシェットの言葉を借りて言えば「本来の自分以上に見せる演出」を始めたのです。

おそらくですが、ジャスミンは「本来の自分以上に見せよう」というよりも、自信のなさを見破られたり、侮られたり、相手にされないことに恐れを抱いたから、無意識に自己防衛を始めたのではないかと思います。それを積み重ねているうちに本来の自分を忘れていった姿が、映画の中のジャスミンなのでしょう。

「ブルージャスミン」は決してジャスミンだけの愚かさを描く物語ではないと思います。ジャスミンのことも、ジンジャーのことも、他人事とは思えず胸が痛みました。人は弱さももろさも抱えているけれど逃げきることはできない、という思いがジャスミンの最後の姿と一緒に記憶されています。

まとめ

ウディ・アレンの映画は新作・旧作を問わず大部分を鑑賞してきましたが、その中でも今作は個人的にはかなりのヒットです。徐々にシリアスさを増していきますが、最初の軽快さやジャンプカットの小気味好さで、すーっと物語に入りこんでしまいます。78歳になっても素晴らしい作品をつくり続けるウディ・アレンは憧れの人物のひとりです。

お気に入りの監督と女優(ケイト・ブランシェット)の共演は期待以上の素晴らしい作品でした(気持ちのいいテーマではないけれど…)。もう一度スクリーンで観ておきたい!

参考Webサイト

ウディ・アレンの映画のおすすめ

デザイン的余談

ウディ・アレンがいつもタイトルロールやスタッフロールで使用しているフォントは「Windsor」というもの。MyFontsから購入ができます。クラシックな印象ですが1905年に制作されたフォントなので、それもそのはず。真っ黒の画面に白いこのフォントが浮き出ると、ウディ・アレンの映画がはじまる!とわくわくするファンは少なくないのではないでしょうか。